無償の愛

お墓参りを兼ねつつ、父方のおばあちゃんちでおはぎの作り方をおそわりに行きました。
ばあちゃんち。
本当に山奥で、まわりに何もないところ。あるのは自然。自然。大自然
ばあちゃんとおじさんは稲刈りに行っていたので、おばさんとおはぎを作る。
そのうち、二人も帰ってきて、お昼ごはん。
少し休憩したら、また田んぼに行くというので一緒についていった。
何か手伝えることがあればいいけど、思うほど田んぼの仕事はそんなに簡単ではなく、私にできそうなことはない。情けなし。
なので、機械で刈って束ねられた稲を邪魔にならないところによけるのをさせてもらった。
おばあちゃんは手で刈った稲を手際よく、藁でくくる。
それを見てて思った。
年をとれば腰は曲がるものだと思っていたけど、そうじゃないんだと。
腰を前屈するみたいに曲げて仕事しているんだもの。
かがんで仕事をしていれば、曲がってしまうんだよね。
足も腰も痛くて、電動自動車で移動しなきゃいけないばあちゃん。
ちょっと泣きそうになった。
一通りおわり、家路につく。
私がやったことなんて微々たるものなのに、助かった助かったと言ってくれた。
それからお墓参りに行く。
ご先祖さまたちと、若くして死んだじいちゃんが眠る墓。
ばあちゃんちのお墓は霊園なんて品のよいものではなく、畑の中に一族で作ったものでそれこそ「墓地」という感じの。子どものころは何だか怖かった。
でも今はそんなのみじんも感じない。
亡くなった人との面会所って誰かが言ってたけど、まさにそんな感じ。
いいところです、墓地っていうのは。やっぱり夜には行きたくないけど。

そのあと夜ごはんもごちそうになり、たくさんの野菜をもらって帰ったきた。

お米はもちろん、野菜や豆類、漬物など、おばあちゃんちでできたものは何でも惜し気もなくくれる。
もちろんお金を請求されたことなんて一度もない。
お盆やお正月などに遊びに行ったときにも、たくさんのご馳走を用意して歓迎してくれる。
おこづかいだっていっぱいもらった。
当たり前とさえも思わないほど、当たり前に思っていた子ども時代。
だけど、こんな無償の愛ってあるだろうか?
別におばあちゃんたちが善人だなんて言いたいわけじゃない。
愚痴はこぼすし、嫌味なことを言ったり、無神経だったり、不器用に無口だったりして、そんなふうに生きている普通の人たちだ。
でもそこには大きな愛も一緒にある。
私はそんなばあちゃんたちを愛しています。

母のことでも、またたくさんのものをもらいました。
私は同じだけの恩返しができるだろうか。自信ないです。