気づいたこと

昨日、大学の先輩Mさんとそのお子様たちが、我が家をたずねてきてくれた。
Mさんは私より一つ年上だが、すでにご両親を亡くされている。
以前電話で「大変でしたね。」と言うと、「でも子どもがいてくれるから」とおっしゃっていた。
そのとおりなんだろうな。子どもという存在は、とても大きいと思う。
でもそれと同時に、父親も母親もこの世に一人しかいなくて、子どもが何人いようがたったひとりの代わりになるはずがないとも思う。
Mさんはさみしいとか、かなしいとか一言も言わなかった。ただ実家にいる妹がかわいそうと言っていた。

何を言いたいのか自分でもわからないんだけど、この間ふと思ったことがあった。


人から気の毒がられるのをすごく恐れていた。昔からそうだ。プライドが高いだけかもしれないけど、母が亡くなって、さらにその気持ちは強くなっていた。


母も、私も、私の家族も、かわいそうなんかじゃない。
同情しないで。なってみないとわかるわけないんだから。
みんなからのやさしさへの感謝とは裏腹に、そんなふうに思う自分もいた。

人は他人と比べることで、自分のしあわせを確認するところがあると思う。
貧しい国の人と比べて自分は裕福だ。リストラされた人よりはましだ。あいつより、あの人より自分は・・・などなどなど。

そんなふうに思うのも思われるのもごめんだと思っていた。

でもある日の夜、こう思った。

私のことを見て、誰かが自分はしあわせだと思うことはそんなに悪いことじゃないんじゃないか。
比べたくない、比べられたくないと必死で思いながら、私は他人と自分を比べることでなんとかやってこれたんじゃないか。
自分以外の人のおかげで私は生きてこれたんじゃないか。
これまでの自分は、他人の身に起きたことは利用して、自分のことを提供するのは拒んできたように思う。
でも今度は自分の番なんだ。
特別な言葉を贈ることはできなくても、自分が何かの役に立てることもあるはずだ。

そんなように感じたのだ。

できるかな。やってみないとはじまらないな。

そんなことを思ったのだった。