ところで、今日のニュースで線路に自転車を置き逃げした犯人が捕まってた。尼崎の事故以来、置き石とか自転車の放置が急増してるっていうのは聞いてたけど本当に酷い話だ。しかも大半の理由が「あの事故みたいに脱線させて大惨事を起こしたい。迷惑かけたい」とからしい。私も大した人間じゃないですけど、犯人たちは明らかに馬鹿でかわいそうな人たちだ。あの惨劇を見て、そういうことしか思いつけないなんて、一体どんな人生を送っている(きた)のだろう。犯罪を起こしたことは許せないけど、そういうかなしい人生には同情してしまう。
しかしこの尼崎の事故はJR西日本だけではなく、日本の社会にも大きな波紋を起こしただろう。日本は他国とは比べものにならないほど緻密なダイヤと正確な到着時刻を誇っているらしい。これは電車を利用する人たちの要望が鉄道会社をそうさせているというのも事実だろう。少しでも遅れると苦情が殺到し、他の路線に客が流れていく。鉄道会社は乗客のニーズに応えるためにも、競争に勝つためにも、列車の運行本数を増やし正確に運行しなければ生き残れない状況なのだ。JR西日本もスピードを守れなかった運転士も間違っていたかもしれない。しかし、そうさせたのには私たち社会にも全く責任がないとは言えないのではないか。ここぞとばかりに被害者ぶった第三者が勝手なことを言っているのも目にするが、本当にしなければいけないのは、今の世の中の風潮をもう一度考え直すことだと思う。便利なのも速いのも確かにありがたい。けどそればかりを追い求める時代はもう終わる。というか終わりにしよう。今の日本国があの尼崎の電車に思えてならないのは私だけでしょうか。豊かになり、スピードが出せるだけ出して走っている。でも目の前の急カーブに気づいたときには、もうブレーキは間に合わない。
安全が第一なんて頭で考えれば当たり前なこと。でも麻痺してるんだね、私たち。この事故は改めてそのことをおしえてくれた。犠牲になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
とはいえ、私も偉そうなことは言えません。信号待ちでイライラし、ファーストフードを利用します。でも少しずつ生活の中でブレーキをかけ、スピードを落としたいと思っている。環境に悪いこと、人に害なことを全てやめようなんてことを言いたいんじゃない。バランスを見直す。まずはゆっくり時間をかけられることを見つける。徐々に実行していく。そういう生活のほうが周りの景色もよく見れるし、自分が心地いいことがなんとなくわかってきたんだ。ばりばり仕事しながらだって、そういう生活は可能なんじゃないか?そう自問しながら模索している毎日です。
たまに長く物事を考えて文章を作ると、けっこう疲れるな。脳が怠けてるんだな。